TOPICS 魯智深小史

 

 魯智深の本名は魯達という。宋の宣和年代の人であった。もとは関西の侠客であったが、街で弱い者に味方し人を殺してしまう。そのため治安当局の手配から逃れるために逃亡することとなる。その後、方蝋叛乱が起きて、朝廷はある大臣に軍を率いさせて武装反乱を討伐した。この大臣は勇敢な騎兵となる勇士を募集していた時、魯達が応募し、最初は守衛所の役人となった。

 魯達の勇気が他の兵士より強くて、次々と大きな功労を成したので、歯将に昇進した。しかし、魯達は大の酒好きで、同僚が皆平々凡々と大事を図ることができない人ばかりなので、それらの同僚との付き合いが殆どなかった。軍隊を率いる大臣でさえも平凡な普通の人で、女好きと美味しい酒の他は、国の大事なことに気を配らなかった。

 魯達はこのような人の部下になったため、才能があっても発揮できなかった。考えれば考えるほど、いらいらしてさらにお酒を飲み、酔うと罵倒し、一日中、人を白目でにらんでいた。同僚たちがこれに耐えられなくて、上司の大臣に訴えた。大臣は魯達が言う通りに従わないため追い払いたかったが、魯達が勇敢で戦い上手なので、とりあえず現在の職位に留任させていた。

 しかし今回大臣は耐えらずにある口実を見つけて魯達を解職して追い払った。魯達はさっぱりした性格で、遂に見切りをつけて山陜地方に行った。昔から才能が有りながら認められない人がいるものだ。それからも、魯達は今までよりもっと酒に酔って他人の悪口を言ったが自分自身でも空しく感じていた。
潼邑地方に行った時、街の人から、若い女性を暴行した悪辣なボスがいることを聞き、憤慨した。「世の中にはこんな酷いことがあるものだ。民衆を守るべき役人たちは、民衆の要望にも何も応えず、悪人たちを放任し、悪人たちはさらに罪を犯す。

 役所は何にもしないのなら、僕は短剣で復仇し、このままでは終らせない」と言った後、あの悪党一家を皆殺しにした。悪党の頭を箱に入れて、役所に自首に行くところ、突然一人の老僧が笑いながら魯達を止めて、魯達に「貴方の強い才能は世の中の不公平や反乱を平定することに十分に活躍できる。
貴方によって殺された悪党の罪は重く、死んでも惜しまれない。今、貴方はそういう悪党を殺したのだが、その才能を捨てて軽かるしく役所に行くことは、主婦が考えることだ。拙僧は頭が良くないが、貴方のやり方はよくない。貴方は分別を持って行動すべきで、軽率にしないでください」と語った。魯達はその主旨を悟って、老僧に付いて五台山に入山することになり、剃髪して僧侶になった。法名は智深であった。魯達は僧になっても、仏法の戒律や掟などに従わず俗人のように酒を飲んだり肉を食べたりしていた。しかも、一度も仏像の前で跪くことも一度もお経を読むこともしなかった。

 寺の中では老僧のみが魯達の味方で、魯達がきっと善行の報いがあり、大物になることを信じていた。これは仏門を求めるいわゆる大乗に悟りをもつものしかできないものだろう。
ある日、魯達は酒に酔い山へ帰ったところ、小年僧は魯達が問題を起こすことを恐れて寺の山門を閉めようとしていた。

 事もあろうに、魯達が腹を立てているときであった。そのため寺の山門や仏像などが彼に壊されてしまった。酔拳は、すなわち、その時から伝えられたものと言われている。その時から、寺の他の僧侶は解散と言って住職を脅し、魯達への処分を求めた。老僧は仕方がなく、魯達を他の寺に行かせ、その寺の菜園係をさせた。
そこでのんびりと一人で酒を飲みながら楽しんでいた。以前何人かの無頼の徒はいつも菜園でごたごたを起こしたり、物を盗んだりしていた。

 しかし、智深は片手で鉄禅杖を挙げて空中で一振りすると、ひと抱えの巨大な松を切った。するとこれを見た無頼の徒たちは皆怖くなって智深に服従し、彼を師として武術を学び始めた。智深もこれを拒まず開山拳や瘋魔杖などの秘技を伝授した。

 それからは悪いことを一切やめて智深の言うとおりにしたので、その地の住民は安心して暮らせることになった。智深がそこで何年間か過ごしたが、ある日突然杖を携えて去って行った。その後どうなったかは誰も知らない。反乱頭領の宋江のところに行って江湖(侠客の世界)で往来したという説もあった。