森實玉照は1927年(昭和2年)9月1日、大分県日田市にて父は森實善右衛門の次男として出生。
父森實善右衛門の旧知であった末永節に出会いそれまで修得していた幾つかの武道を捨て末永節の弟子となり七年の修業の後、末永節の死去にともない1961年二代宗家に至り、門下の増強を相俟って1970年日本万国博覧会に日本代表として、お祭り広場に於いて三度の出場をする。
その後1979年台北市國術會黄善徳理事長の知遇を得、1980年台北市國術會の招聘に依り「中正杯武芸較技観摩大会」に全日本少林拳武徳会選手団150名を率いて出場し海外組に於いて初優勝に輝く。
それにより、中国武術海外普及の第一人者として認められ日本の各武術家が念願してやまなかった本場の最高段位九段位と範士号を授与される。
1981年11月中華民國台北市國術會黄善徳理事長、香港中華國術体育総会陳泰会長、全日本少林拳武徳会森實芳啓二代宗家の三者で兄弟會三者血盟證署名する。
1983年世界武学連合総会設立記念の「国花杯武芸較技観摩大会」(二十六カ国出場)にて最優秀グランプリを輝き、世界第一人者として賛辞を得る。
1985年世界武学連合総会哲士号を授与される。1988年世界武学連合総会の第一回有資格者十段審査に於いて世界初の十段位が武学老師の並ぶ中3000名の「八徳杯國術邀請賽大會(36カ国出場)」会場で授与される。(新聞、テレビ等で世界33カ国で報道される)
1997年3月2日激動の生涯を閉じられる。
号は「輪童」
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