TOPICS 初代宗家末永節簡介

 

 

初代宗家末永節(みさお)翁

 末永節は1869年(明治2年)12月10日福岡市春吉八番町にて出生。父は福岡藩士末永茂世。
幼少の時正木昌陽の漢学塾に入り、また杉浦重剛の称好塾に学び、武芸は武田流合気術、神道夢想流杖術を学ぶ。


 青年時代はイタリア建国奇傑ガルバルジーを深く敬慕し東亜民族の解放独立の念願を立て内田良平と共に天下形勢を探りつつある時、日清の役となり日本新聞従軍記者として第二艦隊扶桑に乗込み広瀬武夫少尉と起臥を共にし、国木田独歩、 横川省三らと健筆を競い活躍される。

 日露戦争後旧満州(現中国東北地区)に渡り満蒙事情の研究に従事、宮崎滔天と図り後中国建国の父と呼ばれることになる「孫文」を助け、頭山満(玄洋社社長)の支援により「孫文」南京臨時大統領に選ばれた第一次革命(辛亥革命)を遂行される。

 その後、孫文が広州に中華民国を樹立した当時孫文直系の中国武人と談合し中国の武芸を研究見聞し、後年楮民誼(勲一等旭日大綬章、当時中国武術統率者)より嵩山少林寺に伝わる名棍源流、小夜叉、 大夜叉、陰手、破棍第一路譜、破棍第二路譜、破棍第三路譜、破棍第四路譜、破棍第五路譜、破棍第六路譜、 破棍又二路譜、破棍又四路譜、破棍又六路譜、 五十五勢図及び少林の別支五台山清涼寺に伝わる魯智深秘書、酔拳、開山拳、瘋魔杖の拳杖を贈られる。

 後年末永節はこれを基に大和杖術として広く内外に40万人の修得者を得る。その技は満州国健杖となり東京警視庁及び海洋少年団の正課として採用される。

 末永節は黄泉の客となる七年前二代宗家森實芳啓(玉照)に生涯を通じて修められた武田流合気術及び少林拳棍の武術を伝授後世に残すべく工夫改良、長を取り短を捨て初代宗家になられました。

 1960年(昭和35年)8月18日大樹が倒れるが如く92歳の貴き生涯を閉じられました。

号は「狼嘯月」晩年は「無庵」